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August 2010

介護職員、4割が施設移った経験

 NPO法人「まごころサービス福島センター」は、県内の介護職員、事業者に対する就労実態のアンケート調査の結果を発表した。大半の職員が職場環境に不満を抱き、4割以上の職員が複数の介護事業所に勤務した経験を持つなど、長期的な就労に結びつかない職場の現状が浮かび上がった。

 アンケートは今年1月に中通り地方の600施設に送付し、148施設の施設責任者と、その職員314人から回答を得た。

 各施設の介護職員の勤務年数は、2年までが37%、3~5年が32%、6~10年が24%、11年以上が8%。同センターは「全国的な傾向に比べ、比較的中堅・ベテラン職員が多く残っている」と分析する。

 一方、現在勤める施設以外でも勤務経験のある職員は43・6%を占めた。退職理由(複数回答可)については、「家庭の事情」の14%に続き、「給料が合わない」「施設の方針と合わない」(各13%)、「労働がきつい」(10%)、「人間関係のねじれ」(9%)、「職場の雰囲気が合わない」(8%)などとなり、職場に対する不満が7割以上にのぼった。

 また、勤務を継続するために求める改善点(複数回答可)では、給料(68%)、人員不足(34%)、休日・休暇(32%)と、労働条件改善を望む声が多く、安定性(41%)、将来性(36%)などの長期就労可能な条件整備も多数を占めた。

 同センターの須田弘子理事長は「制度だけでは人間的なサービスは提供できない。高齢者を支えることを生きがいと感じられるよう、事業者と介護職員が一体となって創意工夫を重ねることが必要」としている。

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終の棲み処 誰の手借りるか

 「終(つい)の棲(す)み処(か)」への関心が高まっています。やっと手に入れた我が家で最期を迎えるはずが、子供はあてにできない、あるいは子供がいない高齢者が増えているためです。そうした人たちからの相談は、70歳代半ばから多くなってきます。

 自宅でヘルパーさんに来てもらいながら頑張る、子供の近くに引っ越す、介護付きの住まいに移る――。選択肢は様々ですが、大事なことはどの選択が自分に合うかということです。

 自宅で住み続けるには、安全な住まいの環境はもちろん、困った時すぐに助けてくれる人がいるかどうか。何よりも重要なのは、1人でもさみしくない暮らしができるかどうかです。

 一方、早めの住み替えが適した人もいます。家族がいない、持病がある、家事が苦手といった人たちで、住み替えの準備は自分でしなくてはならないので、体力のあるうちに行動を起こすことが必要になります。

 ぎりぎりまで自宅で生活し、介護施設に移り住む方法もあります。この場合は、自分の決断というより、家族が判断することが多くなるので、家族との関係が良好な人にお勧めです。住み替え年齢は、現在では、80歳前後になっています。

 私たちは誰かの手を借りながら人生の幕引きをすることになります。誰の手を借りるのが一番よいのか――。まずはこの点から考えなければなりません。(池田敏史子(いけだとしこ)、NPO法人「シニアライフ情報センター」代表理事)

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周囲あっての在宅介護


「父は年に1度はかつての教え子と旅に出掛けていました。違う世代の人とつきあえたという点でも、いい晩年だったと思います」と広井さん(千葉市の千葉大学で)=飯島啓太撮影

 千葉大学教授の広井良典さん(49)は昨年12月、父の武男さんを亡くしました。

 83歳でした。2年間の介護中、月に1度ほど東京から岡山へ帰省しました。介護は母の里子さん(78)が中心でしたが、地域の人も協力してくれました。「両親に孤立感はなかったのではないか」と、広井さんは話します。
帰宅を望んだ父

 2008年1月、父は脳梗塞(こうそく)と診断され、実家のある岡山市内の病院に入院してリハビリを始めました。私が07年末に帰省した際、急に訳のわからないことを話したり、歩くのが不自由になったりして、おかしいなと感じていました。父は元々、中学の社会科教師で、かつての教え子とその年の秋に旅行へ出掛けたのですが、その時から兆しはあったようです。

 「自宅に帰りたい」というのが武男さんの希望だったため、準備を進めた。自宅では2階を寝室にしていたが、生活しやすい1階で寝られるように改築。武男さんは08年8月に退院した。

 父は日中は、居間で車イスに座って過ごしていました。話し好きな人でしたが、黙っていることが多くなりました。介護保険を利用して、ヘルパーさんに食事の用意や入浴の介助をしてもらい、デイサービスも利用しました。

 私は月に1度ほど、週末に帰省することしかできません。できるだけ普通の生活をさせるため、近くの川沿いの公園に車イスを押して出掛けました。父がリハビリを兼ねて公園の手すりにつかまって歩くのをサポートしました。

 問題は夜でした。父は認知症気味で、夜中に何度でも起きてトイレに行きたがります。その度に車イスに乗せてトイレまで連れて行き、オムツを替えなければいけません。私も介助しましたが、眠りかけている時に何度も起こされ、一晩で大変さが分かりました。よく言われることですが、夜のトイレの世話が、在宅介護を続けられるかの分かれ目だと実感しました。

 広井さんの実家は、市内中心部の商店街で化粧品や文房具の小売店を営んでおり、最盛期は女性店員が5、6人働いていた。商店街は人通りが少なくなったが、店は里子さんの生きがいで、現在も店員が3人いる。

 母は日中、店を切り盛りしなければならず、毎晩1人で父の世話をするのは無理でした。兵庫県に住む姉も週末には帰省してくれていましたが、とても間に合いません。

 そこで、店員さんの1人に週2回ほど、泊まり込みで世話をしてもらうことにしました。店員さんは皆、30年以上勤めており、半ば家族みたいなもの。日中も介護を手伝ってくれていました。父も40歳代で教師を辞め、店を手伝っていましたから、店員さんとは気心が知れていました。

 隣の店のご主人にも協力をしてもらいました。緊急時にすぐに隣に連絡が行くような通報ベルを設置。実際、母が父と一緒に転び、助けを求めたことが何度かありました。

 地方の商店街にはまだ、大都市や住宅街にはない、人と人のつながり、コミュニティーが残っています。さすがに介護そのものをしてもらうことは難しいでしょうが、周りに知り合いがいれば、いざという時の安心につながります。在宅介護の環境はより整いやすくなるのではないでしょうか。
農園見れば笑顔

 武男さんは農家の出身で、40歳代には自宅から車で20分ほどの郊外に土地を買い、毎日のように野菜の世話をするのが生きがいになっていた。自然に還(かえ)るという意味で「還自園」と名付け、自作の漢詩を彫り込んだ石碑も建てた。

 父は介護が必要になってからは、野菜の世話ができなくなりましたが、店員さんのご主人が代わりに手入れをし、荒れるのを食い止めてくれていました。それでも「農園に行きたい」というので、時々連れて行って車イスを押して回りましたが、表情が明るくなりました。週に1、2回でも農作業ができれば、リハビリにもよかったのではないかと思います。

 09年11月、里子さんが転倒して骨折し、入院することになった。在宅介護ができなくなり、武男さんは再入院することになったが、1か月ほどして容体が急変し、亡くなった。

 私は社会保障論や死生観などを研究テーマにしています。人の老後を考える時、介護の問題が大切なことは言うまでもありません。それ以上に重要なのは、どんな老い方をするかだと考えています。定年後に農業を始める、地域と交流を深めるといった、その人なりの形を持つことが大事なのではないでしょうか。父にとっては、還自園や教え子たちとの交流がそれだったのだと思います。

 母は父の死後、「自分が入院して在宅介護ができなくなったため、お父さんの死期を早めた」と悔やんでいました。確かに悔やまれる部分もありますが、父もどう老いるかが大事だと考え、自然に還るという、自分なりの考え方で晩年を過ごしたのだと思います。そういう意味で、いい老後だったのではないでしょうか。(聞き手・西内高志)

 ひろい・よしのり 千葉大学法経学部教授。1961年、岡山県生まれ。東大大学院修士課程修了。厚生省勤務を経て、96年に千葉大法経学部助教授、2003年から現職。社会保障や医療に関する政策研究から、死生観などを巡る哲学的考察まで幅広く活動している。著書に「コミュニティを問いなおす」など。

 ◎取材を終えて 自然に回帰するかのように、40歳代から農園で野菜を育てたという武男さん。その老い方や生き方を語る広井さんからは、父親への尊敬の念がひしひしと感じられた。自身の介護体験について「私がしたことはわずか」と話していたが、月に1度、帰省するというのは、家庭と仕事を持つ人にしてみれば大変なことだ。広井さんの思いは、あまり話さなくなっていたという武男さんにも十分、伝わっていたはずだ。

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消えたお年寄り=高齢者の老後

消えたお年寄り=高齢者の老後


長寿国世界一日本の屋台骨を揺るがすニュースが連日報道されている。
100歳以上のお年寄りの所在不明者がついに60名を超えた。
石原東京都知事は親を看取らぬ現代の親子関係をなじったが、100歳の祝いと称して本人に逢う事すらせず記念品のみを送りつけ、敬老の仮面をかぶっている地方自治のあり方こそ問題があるのではなかろうか。
確かに人間関係、それも親子関係が希薄になりつつある社会になってしまったことは否めない。核家族どころか親子の孤立が甚だしいのは何も現代社会の歪みとばかりは云っていられまい。人間の倫理観の低下、教育の荒廃、価値観の違いなどが戦後軍国主義から外部から強制的に与えられた民主主義への転換による生き方や総括ができぬまま、ついに歪みを生じたとも云えよう。
高齢者の路上生活者に見受けられる偽名や通称は、いかに彼らが世間を憚る境遇に追い込まれているかが伺えるのも、国家がこれらの老人にたいするセーフティネットを怠ったからに他ならない。
青少年の犯罪者に対しては更生を配慮した措置がとられているのに、世間を憚る老人への処遇は余りにも全てが自己責任として片付けられてはしないだろうか。
政府や地方自治体は介護とか敬老などと美辞麗句をならべる前に、年寄りが本当に必要としているものは何かの判断が適切に下されないかぎり、世界に誇る長寿国の道のりはほど遠いものとなろう。

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