« 消えたお年寄り=高齢者の老後 | Main | 終の棲み処 誰の手借りるか »

周囲あっての在宅介護


「父は年に1度はかつての教え子と旅に出掛けていました。違う世代の人とつきあえたという点でも、いい晩年だったと思います」と広井さん(千葉市の千葉大学で)=飯島啓太撮影

 千葉大学教授の広井良典さん(49)は昨年12月、父の武男さんを亡くしました。

 83歳でした。2年間の介護中、月に1度ほど東京から岡山へ帰省しました。介護は母の里子さん(78)が中心でしたが、地域の人も協力してくれました。「両親に孤立感はなかったのではないか」と、広井さんは話します。
帰宅を望んだ父

 2008年1月、父は脳梗塞(こうそく)と診断され、実家のある岡山市内の病院に入院してリハビリを始めました。私が07年末に帰省した際、急に訳のわからないことを話したり、歩くのが不自由になったりして、おかしいなと感じていました。父は元々、中学の社会科教師で、かつての教え子とその年の秋に旅行へ出掛けたのですが、その時から兆しはあったようです。

 「自宅に帰りたい」というのが武男さんの希望だったため、準備を進めた。自宅では2階を寝室にしていたが、生活しやすい1階で寝られるように改築。武男さんは08年8月に退院した。

 父は日中は、居間で車イスに座って過ごしていました。話し好きな人でしたが、黙っていることが多くなりました。介護保険を利用して、ヘルパーさんに食事の用意や入浴の介助をしてもらい、デイサービスも利用しました。

 私は月に1度ほど、週末に帰省することしかできません。できるだけ普通の生活をさせるため、近くの川沿いの公園に車イスを押して出掛けました。父がリハビリを兼ねて公園の手すりにつかまって歩くのをサポートしました。

 問題は夜でした。父は認知症気味で、夜中に何度でも起きてトイレに行きたがります。その度に車イスに乗せてトイレまで連れて行き、オムツを替えなければいけません。私も介助しましたが、眠りかけている時に何度も起こされ、一晩で大変さが分かりました。よく言われることですが、夜のトイレの世話が、在宅介護を続けられるかの分かれ目だと実感しました。

 広井さんの実家は、市内中心部の商店街で化粧品や文房具の小売店を営んでおり、最盛期は女性店員が5、6人働いていた。商店街は人通りが少なくなったが、店は里子さんの生きがいで、現在も店員が3人いる。

 母は日中、店を切り盛りしなければならず、毎晩1人で父の世話をするのは無理でした。兵庫県に住む姉も週末には帰省してくれていましたが、とても間に合いません。

 そこで、店員さんの1人に週2回ほど、泊まり込みで世話をしてもらうことにしました。店員さんは皆、30年以上勤めており、半ば家族みたいなもの。日中も介護を手伝ってくれていました。父も40歳代で教師を辞め、店を手伝っていましたから、店員さんとは気心が知れていました。

 隣の店のご主人にも協力をしてもらいました。緊急時にすぐに隣に連絡が行くような通報ベルを設置。実際、母が父と一緒に転び、助けを求めたことが何度かありました。

 地方の商店街にはまだ、大都市や住宅街にはない、人と人のつながり、コミュニティーが残っています。さすがに介護そのものをしてもらうことは難しいでしょうが、周りに知り合いがいれば、いざという時の安心につながります。在宅介護の環境はより整いやすくなるのではないでしょうか。
農園見れば笑顔

 武男さんは農家の出身で、40歳代には自宅から車で20分ほどの郊外に土地を買い、毎日のように野菜の世話をするのが生きがいになっていた。自然に還(かえ)るという意味で「還自園」と名付け、自作の漢詩を彫り込んだ石碑も建てた。

 父は介護が必要になってからは、野菜の世話ができなくなりましたが、店員さんのご主人が代わりに手入れをし、荒れるのを食い止めてくれていました。それでも「農園に行きたい」というので、時々連れて行って車イスを押して回りましたが、表情が明るくなりました。週に1、2回でも農作業ができれば、リハビリにもよかったのではないかと思います。

 09年11月、里子さんが転倒して骨折し、入院することになった。在宅介護ができなくなり、武男さんは再入院することになったが、1か月ほどして容体が急変し、亡くなった。

 私は社会保障論や死生観などを研究テーマにしています。人の老後を考える時、介護の問題が大切なことは言うまでもありません。それ以上に重要なのは、どんな老い方をするかだと考えています。定年後に農業を始める、地域と交流を深めるといった、その人なりの形を持つことが大事なのではないでしょうか。父にとっては、還自園や教え子たちとの交流がそれだったのだと思います。

 母は父の死後、「自分が入院して在宅介護ができなくなったため、お父さんの死期を早めた」と悔やんでいました。確かに悔やまれる部分もありますが、父もどう老いるかが大事だと考え、自然に還るという、自分なりの考え方で晩年を過ごしたのだと思います。そういう意味で、いい老後だったのではないでしょうか。(聞き手・西内高志)

 ひろい・よしのり 千葉大学法経学部教授。1961年、岡山県生まれ。東大大学院修士課程修了。厚生省勤務を経て、96年に千葉大法経学部助教授、2003年から現職。社会保障や医療に関する政策研究から、死生観などを巡る哲学的考察まで幅広く活動している。著書に「コミュニティを問いなおす」など。

 ◎取材を終えて 自然に回帰するかのように、40歳代から農園で野菜を育てたという武男さん。その老い方や生き方を語る広井さんからは、父親への尊敬の念がひしひしと感じられた。自身の介護体験について「私がしたことはわずか」と話していたが、月に1度、帰省するというのは、家庭と仕事を持つ人にしてみれば大変なことだ。広井さんの思いは、あまり話さなくなっていたという武男さんにも十分、伝わっていたはずだ。

|

« 消えたお年寄り=高齢者の老後 | Main | 終の棲み処 誰の手借りるか »